仕事は何もなし
朝から仕事先で
珍しくドーナッツが4つ入っているのを
2つ食べた
午後の休憩中に残りの2つも食べた
何でそんな気分になったのか
仕事中にはぼんやりと
いつも色々と考え事をしている
何を考えていたのかさえ
今となっては思い出せない
前は母のためにバナナを買っていたけども
腎臓が悪化しているため
カリウムが多いバナナは控えなくてはならなくて
今年に入ってからバナナは買わなくなった
母がいなくなったら
自分一人のために
人生を生きるようになるんだろうけど
そんな生き方を自分は知らない
家族がいれば家族のために
子供がいれば子供のために
色々と人生を消耗していくんだろうけど
母以外の他人のために何かをする
ってことにほど遠い人生なのでそれもない
母がいなくなったら
母の言葉が聞こえたり
心の中で対話をしたりするんだろうか
何かを見るたびに母の形跡を感じたり
いろんなことを思い出したりするんだろうな
母は風邪を引いたのか体が痛いとかで
具合が悪い
毎年3月になると調子が悪くなるらしい
色々と心配だけど
いつか来るその日のために
ある程度の覚悟をしなくちゃいけない
その日が怖い
最近もっぱら自分以外の
他人が記号にしか見えない
というか認識すらしていないことに気がついた
身の回りの人以外の顔ですら
記号にしか感じてない
なぜだろうか
こんな辺鄙な惑星で
毎日毎日何しているんだろうと思う
色んな事を感じたり思ったりするのは
生物として反応しているってだけで
ただそれ以外に意味はなく
考えたり想ったりするのは
生物的なことにすぎないってだけなのに
あれやこれや考えては一喜一憂して
喜怒哀楽を通して死んでいくだけ
宇宙には
地球よりもはるかに大きな惑星が無数にあって
それ以上に大きな銀河や宇宙空間が広がっている
地球の外に目を向けると
全てがどうでも良くなる不思議
人生とかを考えたらきりがない
そのうち自分のことだけに
人生を消耗する日がくるんだろうけど
そうなるのもちょっぴりつらい
そんな日が来なければ良いのにと
仕事中にぼんやりと考えていた
仕事先に向かうときはもっと
明確にスラスラと考えられるのに
それを言語化したりすると
うまく表現できない
いつの日か
考えていることが
自動的に文字化されるような日が来るんだろうな
イワシの煮つけを作った
仕事帰りに頭と内臓が処理された
イワシを見つけて2パック買って
ショウガを買って
醤油にみりんとお酒を入れて煮て作った
うんまああああああああああああい
とてもうまかった
勝平っていう映画が面白かった
感動したし見てよかった
月曜日は吉田類の番組を見るのと
ジャンプを読むのが楽しみ
それが終わるともう憂鬱で仕方ない
でもそれさえも
何か時間的な暇つぶしの一つに過ぎないのかもしれないし
生物としてそう感じているっていうことだけ
お腹すいたり欲しいものがあったり
自宅のウォーキングクローゼットに
作ってないガンプラを50個ほど収納した
壮観な眺めだけど
それと引き換えに
いつ作るんだろうかという思いが募る
心のすき間を埋めるようにして
直方体のガンプラを買っているだけの気がする
もう少し臨機応変な形のもので
心のすき間を埋められたらと思うけども
心のすき間なんか埋めたところで
またどうせ
何か欲求が生じるんだろうな
毎日同じことの繰り返しで
退屈していることこそが
ある意味幸せなことなんだと思う