自分は
魯鈍で愚昧なんだろうなと
太宰治氏の八十八夜で
魯鈍と愚昧って言葉が出てきて
意味が分からず調べたら
そのままの意味の言葉だった
魯鈍と愚昧
なんか響きが良い
朝から左足がつってしまい
とても怖いほど痛かった
死ぬときってあんなだろうか
痛い
痛いのは嫌
怖いし不安になる
あんなに痛いのか
もっと痛いのだろうか
気が失ってしまうほどの痛さなのだろうか
痛さが引かないあの痛さ
痛み続ける怖さと痛みで
頭の中がもうどうしようもなくなった
午後からパン屋さんで
はちみつのパンを買い
病院に面会に向かった
とても晴天で
空が晴れてて
青くて青くて
たまらなかった
空に舟が浮かぶくらい
空が海のように青かった
とても美しいと思った
自宅の2階の部屋で寝ているときも
空の青みが部屋の窓から
入ってきてて
そのまま消えて死んでしまいたかった
先のことを考えるともう
消えてしまいたい
楽しみもない
怖いのと不安しかない
あのまま布団の中で死ねたら
と思いながら眠りについて起きたら
左足のふくらはぎが攣った
病院に行く途中で
たまたま二兄と会ったので
一緒に病院に面会に行った
母は車いすに乗って
レストランに向かう予定だったけど
気分が悪いとかで
そのまま病室で
はちみつパンを食べたり
明後日の退院に向けて
調査員の人と話をしたりしてた
玄関の段差が高いので
二兄がそれが歩けるか不安らしい
自分はもうなんか
なるようにしかならないから
あまり気にしてない
病院をでて16時半ごろに
高島平に向かった
珍来でレバニラ定食を食べた
チンジャオロース定食は持ち帰りにした
松屋で明太子のチキンのが
おいしそうだった
珍来の隣にすぐ松屋があったけど
お腹いっぱいだったので
買わずに
高島平の団地を眺めてから
元実家の団地を愛でつつ
ぼおーーーっと
して過ごしてた
もう17時半過ぎだったので
夕方の空の蒼い暗闇と
団地の照明が
とても綺麗だった
18歳まで過ごしてた
こんなに綺麗なところに住んでたのか
当時はあまりそういう事に目を向けてなかった
実家で飼っていた
ペースケに会いたくなった
あの頃に戻りたい
23年後にこんなことになっているだなんて
思いもよらなかった
こんなに長生きするとは思わなかった
団地に住んでいた時は
本当に色々なことがあったけど
全てが懐かしい
今もかなりしんどくて色々辛いけど
数年後には懐かしいの一言で
処理できるようになるんだろうか
すべては親父が事故で死んでなければ
こうはならなかった気がする
死んだ親父のせいにしてしまえば
少しは気が楽になる
死んだ親父が母親に手を出してさえいなければ
二兄は精神病にならず
一兄は引きこもりにならず
母は透析にもならず
自分は生まれもせず
今よりマシな人生を送っていたと思うけど
ちょっとした加減で
人の人生は本当に大きく軌道が変わっていく
バタフライエフェクト現象ほんとうに怖い
明日が怖い
毎日が不安
仕事も決まらないし
母のこともあるし
色々と先のことを考えると辛い
とてもしんどい
直径約50mの小惑星が
2046年2月に地球に大接近する可能性があるらしい
そこまで生きてない気がする
生きていれば63歳
どんな生活を送っているのか
精神状態はどうなっているのか
もう想像しても想像しきれない
生きていたいとか
思わなくなった
久ぶりに
夕方の高島平団地が見ることができて
気持ちが揺らいだ
高揚した
ここにこうして住んでいたのかと
小学校に通って
中学に通って
塾に行って
スイミングスクールに通って
色々あった
老朽化で色々言われているけども
全てが愛おしい
空気間が懐かしい
戻れるなら戻りたい
自宅にいた時期は
18歳から30歳くらいまで
それもそれで色々あった
30歳くらいから41歳の今に至るまでは
実家と自宅を行き来している
それはそれで色々ある
で今に至ると
もう苦しくてしょうがない
何でも良いから
仕事をして
自分のことだけに時間や
お金を使える人が
ほんとうに羨ましい
はぐれメタルのように逃げ出したい
洗濯した母の衣類を
病室に置いていくのを忘れて
病室に戻った時
ベットで横になっている母に
今日は中華料理屋さんで
レバニラ定食を食べると言ったら
少し笑ってた