1月が終わってしまった
31日自体は好きだけど
1月の最終日なのが悲しく寂しい
これから先のことを考えると
とても気が重くて
気分が憂鬱になり
現実の恐ろしさに押しつぶされて
ぺしゃんこになってしまった
なのであさって2月2日に
高島平団地に行って
団地を眺めながら
元実家に思いを馳せつつ
屋上付近で景色を眺めながら
涙を流さないと
ダメになってしまう気がして
恐ろしい気持ちで一杯になったので
団地をただただ見に行くことにした
珍来でご飯を食べてから
自宅に戻って
土日のバイトの書類を持って
実家に戻る
なのでその日仕事は欠勤することにした
午前中だけ
仕事に出ようと思ったけども
あと17回ほどしか出勤することがないので
1度くらい良いだろう精神で
思い切って欠勤に決めた
中学生の時
選ばなかった選択肢を
もしあの時選んでいたら
今頃どうなっていただろうか
二兄が増長してて
いつも母と喧嘩していさかいが絶えなかったので
当時中学生だった自分が
それを止めたくて
二兄を消していたら
今どうなっていただろう
太宰治氏の日の出前の
勝治じゃないけど
あんな感じだった
さながら自分は節子のポジションだろうか
もしも消してたら
今自分は何をしていただろう
母との関係はどうなっていただろう
母が好きな梅のおかゆは
二兄じゃなく誰が作ってただろう
そうなってたら
今の自分は
派遣社員なんかしてなかっただろう
少年院上がりで
何の仕事に就いていただろうか
そんな世界線も
あったのかもしれない
6年ほども前にも
契約社員の話が出たとき
それを享受してたら
今頃どうなっていただろう
現実の怖さに潰れ闇に飲み込まれて
憂鬱な気持ちで派遣社員の仕事を
日々日々することも無かったと思う
そういう世界線もどこかに存在してて
今ごろ正社員にでもなって
結婚とかしていただろうか
隣の芝が青く見えることが多々ある
でも向こうの芝からも
こっちの芝が青く見えているのかもしれない
明日から2月が始まる
もう2月
あれから1年
去年の2月から数えると
ちょうど1年
懐かしい
ああ2月
今年の2月一杯で
3年ほどしている派遣の
ポチポチの簡単な仕事が終わる
これでやっと解放される
自由になれる
そのまま消えてしまいたい
消えられないだろうか
あと生きたとしても
せいぜい30年くらいだろうか
だとすると
2070年には生きてない
2050年には生きているかもしれない
2100年にはほぼほぼ
今生きている人はほとんど生きてない
先のことを考えると
暗い気持ちになり
萎えていく
考えないでいても
漠然としてて
余白だらけで気分が悪くなる
余白を埋めようと考えれば
考えるほど沈痛な気持ちになっていく
ディアミルクが美味しいとのことで
買いに行ったけど
売ってなかった
評判になる前は売っていたのに
買わなかった
だいたいこんな感じで
買い損なうことが多々ある
人生はこんなものかもしれない
あのとき
こうしておけば
そればかりが目立つ
でも
こうしておいてところで
何かのタイミングで
あんなことしておかなければ
今ごろもっと違ったのにと
考えて苦悩するのは
同じことだと思う
生まれる前は
何もない無から生まれて
死んだ後はまた
元通りの無へ返るのみなのに
その無から無の間が
あまりにも長すぎる
そして辛い
気持ちがおかしくなっていく
生活費を稼ぐことに
無頓着だった学生の頃は
こんな複雑な気分にならなかったのに
もう嫌で仕方ない
夫婦喧嘩をしている
屋台で
焼きそばたまご付きと
たこ焼きを買って帰った
母は椅子から少しこけてたけど
大事には至らなかった
母はたこ焼きを5個食べてた
少し焦げたのも
入っていたかもしれない