帰り際
家に帰りたいと
病院で母が言ってて
心が痛かった
一緒に帰りたかった
どうしたらいいのか
何て答えたら良いのか
そうだよね
帰りたいよねと
一緒に考えようと
話したけど
どうしたらよかったのか
ブラジルに日本がサッカーで勝ったとか
若い頃の写真を見つけたので
それを一緒に見たりとか
買ってきたスタバのコーヒーを
今日はソイミルクにしたデカフェを
一緒に飲んだりしてた
雨が降ってたのと
コーヒーを持ってたのもあって
いつもより行くのが遅くなってしまった
なので
母は待ちわびていて
遅かったねと言ってた
もっと早く来たかったけど
そうもいかず
ごめんねと話した
母は横を向いてベットで寝てて
寝ながらストローでコーヒーを飲んでた
美味しいと言ってくれて嬉しかった
仕事は何もなく
普通に終ったように思う
だんだん寒くなってきた
鼻声だったので
母が心配してた
住友銀行のキャッシュカードを
見つけたけども
使えるかどうかわからない
入院費が
先月よりも8000円くらい上がってた
3か月くらい入院したからかもしれない
母の早く家に帰りたいっていう
あのセリフが忘れられない
二兄がいなくなって
消えてくれれば
母を家に迎えることができる
二兄が色々とうるさく
母を家に連れて行きたいと
言ったら
きっと無理無理が始まり
口論になる上に
非常に腹立たしい展開になることが
火を見るよりも明らかで
母が良く二兄に言っていたけど
ほんとうに家を出てって欲しい
母に関わらないで欲しい
頭も悪いので話にならない
自分がもう一人いれば
先生と交渉して
母を家に連れて帰れたかもしれない
二兄と喧嘩して
その勢いで
あやめてしまうように思う
そうなっては
母も悲しむし
母とも会えなくなるしで
元も子もないので
地獄の業火で焼けてしまえば良いのにと
切に思うって願うしかない
どうして母のことになると
無理無理が始まって
怒鳴ったりするのだろうか
意味が分からない
二兄の手を借りずに
母を家に迎えたいけども
ぶうぶうとうるさいことを
言うだろうし
それを聞いてて
キレた自分が
二兄に何をするか分からない
きっと取り返しのつかないことに
発展すると思う
血糖値が高くなるので
母にご飯を持って行くにしても
少し一口にしてほしいと
病院から言われたと二兄に言われた
昔の写真が色々出て来て
母の手帳に
死んだら使ってほしいと
書いてあった写真が出てきた
若い頃の母が写ってた
肌寒くなってきて
クシャミが止まらない
夕飯は牛丼風のパスタを作って食べた
美味しかった
母に今日は牛丼かなと
話したら良いねって言ってくれた
何気ない会話をしている時間が愛おしい
ずっと一緒に過ごしていたい
二兄はそうは思わないんだろうか
早く帰りたいと言ってたことを話したら
しょうがないとか
あの人が云々と
いつもの調子で
母を批判し始めたので
途中から話は聞いてなかった
こうなることも
わかっていたけど
つい話してしまう自分も悪いのかもしれない
母親をあの人と呼ぶのは
幼少期のことが原因なのかもしれないけども
だとしても
あまりにも共感性のない感性に
いつも辟易する
相手の立場になって
考えられない才能なのかもしれない
最初からそういう性格と脳力で
生まれてしまったから
もうそれはしょうがない気もする
母も透析にならない生活を
心がけて
ロキソニンや薬を多用しなければ
病院にはいなかった気もするけども
精神的な事と
幼少期のことがあって
養母がもっとちゃんとした人だったら
もっと違ったのだろうなと
遡って考えると
原因があって
結果が伴っているに過ぎないんだろうけど
もっと違った人生も
もしかしたら
今よりも
もっと悲惨で大変だった人生を歩んでいたのかもしれない
それはわからない
にしても
母をとても不憫に思った
自分が何かできないだろうか
自分だって
もっと勉強していれば
母はこうはなってなかったかもしれない
そんなのを考えてもしょうがないけど
今どうすればいいか
あとで後悔しないような
選択をしたい
どうすべきか
母のために何ができるのか
霧雨のような雨が
降っててとても寒かった