まちがえることをおそれない

 いつも正しいことをやろうやろうと思うと結局その延長線上で躊躇と委縮のダブルパンチの後に間違えたくないのと失敗したくないという変なプライド一杯の気持ちになってきて最終的には格好悪いことをしたくないと思うようになって本能に従うこともなく自分が傷つかない方向に誘導していくようになって自分自身を甘やかせて肯定してくれる自分同士でぺろぺろ舐め合ってしまう今日はそんな気持ちでした

 仕事帰りに自宅に帰る途中のスーパーでいわしをゲット、頭と内臓をお店の人に行って取ってもらおうかなと思ったけど何だか気が引けたというか、そういうのやってないんでと言われるのが何となく嫌だったのと怖かったので否定される勇気がなくてっていうレベルのことでもないけど何となく自分が辛い思いをしそうだからという思い込みで聞くに聞けなくてあきらめて明日、実家近くの魚屋さんで買おうと思ったんだけど安いのもあって8匹300円だったから思わず買っちゃった

 今日の仕事は何となくおもーい感じでやっちまったのか、しくじっていないのか運が悪いのか何ともよくわからないまま時間が過ぎていった、いつもの仕事のノリとは違っていつも以上に出来ない人感満載のオーラでちょっと違うのかなーと思いながら仕事をしていた、なんというか周りの人とちょっと時間がずれてるのかなーってくらいワンテンポもツーテンポも遅くって三拍くらい遅れて一人でダンスしちゃっている感じでしたですよー
 まぁいっかーって思ったけどどうなんだろ、もうだいぶ疲れて帰りの電車は寝ちゃってた、そういうこともあってキャラメルコーン赤とアーモンド、チーズ、カレーの4種類を買った、もろもろで1999円でしたっけ、中華おこわともち米を固めで炊いたら、文字通り芯が残って硬くなってたので水を入れて再度炊飯したら食べられるようになってた、連休明けの3日間は倉庫で仕事なので、おなかが痛くなりませんようにって祈りながらモグモグ食べてガブガブ午後の紅茶飲んだ、いわしは梅干か梅のキャンディーを入れてしょうゆとお酒とみりんと砂糖で煮ようと思ったけど梅は高かったんでやめました、でも結構うまくできた5匹も食べてた、水を使わなかったから日持ちしそう
 あー仕事ができないことが出来るっていのは良いんだか悪いんだが、そう思うたんびに自分を慰める意味で人生は体験なんだって思うようにしている、地球という設定の中でただ生きているという体験をしているんだと、失敗とかはもともときっと存在しない、そういう言葉に当てはめているだけで人が生まれる確率は物凄く低いから生まれないことが普通であって生まれることは宝くじにあたるようなもので普通じゃない、生まれないことの方が普通だとすると生まれてきたことの方が奇跡なんだなって、だから生まれてきてこの人生という現象を体験しているってことだけで充分元取れてるんだよなーって、会話が成り立つように言葉と意味を当てはめて会話をすること自体が無理をしているのかもしれない良く分からないけど、夕焼けや夜の月、きれいな景色を見るたびにあーこういうのって良いなーって思うことが出来る体験ができていることにぽぉーってしちゃうんで、また明日から明日が始まりますよーってことで間違っても良いんじゃないのー、間違えるのが怖いからって躊躇して恥ずかしがることはない誰も自分を見ていないし、それはそういう体験をしているに過ぎないんだから海外ドラマでいうところのオープニングでいきなり死亡みたいな感じっすかね、全然意味違うけども